
1. 私の方で、ウイスキーを始めることになったのは、第1次大戦後です。洋酒を作るには、第一、水の便が良くなくてはいかん。それから靄(もや)が酒の仕込みにいいということも聞いた。それで、今の山崎がいいということになった。あそこは、木津川、桂川、淀川の三つが合流しているから朝靄もかかる、水質もいい、交通も便利だということです。ウイスキーの本場であるスコットランドのローズシモンの水に似ている。
2. 私は善因善果、悪因悪果ということを仕事のモットーにしております。良心的な仕事をすれば、長い間には、その事業は栄えるものです。現在の株主は、全部店の人で、配当しなくても賞与で承知してくれる。しかし、公開するとなれば配当しなければならない。そのために無理に儲けようとすると、酒の質が落ちる。
3. それが怖いから公開しません。洋酒の会社は、内部蓄積を怠ると、直ちに、将来の品質に関係してくるもので、私どもは、儲けは極力、ウイスキーの貯蔵に充てる方針は変えません。回顧すると、洋酒事業が成功したというのも、常に良心的に仕事してきた結果だと思っています。
(参考:「週刊ダイヤモンド」2025 年10月25日)