人間は大自然には及ばない   山川 宗玄(臨済宗妙心寺派管長) 

1.日常のすべてが修行という意味では、『臨済録』にある「隋処(ずいしょ)に主(しゅ)を作れば、立処(りつしょ)皆真なり」という禅語を取り上げたいと思います。あらゆる場で主となるというのは、何も自分を前面に打ち出すことではなく、目の前の対象と一つになってそこに打ち込んでいくことです。 

2. そして、これからの時代を考えた時、「現成(げんじょう)受用(じゅよう)」という言葉も広くお伝えしておきたい言葉です。簡単に言いますと、自然がつくりあげたものは人間の計らいを超えており、そこにたまたま我われが存在しているという意味です。いまの世の中、科学技術で人間は何でもつくり出すことができる。そのためには何をやっても許されるという考えにあふれています。 

3.いくら高度な文明を築いても、大自然の力には及びません。時には思いもしない天災に見舞われることもある。その時は「なぜこんな不幸が訪れるのか」と嘆くのではなく、まず現実を素直に受け入れた上で、片付けなどできることから一つひとつやっていく。そういう心の持ち方が大事になってくるのではないでしょうか。

(参考:「致知」2024 年10 月号) 

>NPO法人マザーズドリームでは、いつでも寄付を受け付けています

NPO法人マザーズドリームでは、いつでも寄付を受け付けています

NPO法人マザーズドリームの活動にご協力ください。