2024年10月15日(火)20時~21時
参加者 : 2名
今回もいつものように私の挨拶から始まりました。 ~坂村真民先生の「二度とない人生だから」をテーマにして語り合いました。
頭の体操のクイズをしました。その後、小学校の道徳の本から
温かい心「命のおにぎり」を題材にして語り合いました。
あらすじ:
2014年2月15日の朝、福島市は記録的な大雪となった。トラック運転手の増子(ましこ)さんは、荷物の配送を終え、会社に戻る途中だった。しかし、激しく降り続く雪の為に道路は大渋滞し、とうとう車の列が動かなくなってしまった。(困ったな~。食べ物は何も持っていないし・・・。)あるのはペットボトルの水だけ。近くに店はなく、激しい雪で、車を離れることもできない。車の列が動かないまま夜になり、次の日の朝になってしまった。増子さんは、糖尿病という病気の為、長時間何も口にしないでいると体の具合がわるくなり、命の危険もあった。
(まずいな~。このままでは・・・。)
意識がとうのいてきたその時、車の窓をノックする音で、増子さんはハット気付いた。車の外に人が立っている。窓を開けると温かいおにぎりを差し出されました。誰だろうと不思議に思い、聞いてみると、道路を見下ろす高台にある、仮設住宅の住民だという。「ありがとうございます。いただきます。」そのおにぎりは、温かく、一生忘れられないほどの美味しさだった。もったいなくて、二度に分けて食べた。食べ物を口にできたおかげで、増子さんの意識はしっかりともどった。おにぎりを届けた人たちは、2011年の東日本の大震災で被災した福島県飯舘(いいたて)村の住民だった。震災後、この仮設住宅に避難してきていたのだ。激しい雪の中、前日から同じ車の列がずっと止まり続けていることに気付いた住民たちは、相談しておにぎりを持っていくことにした、
「こんなに長い時間、車に閉じ込められているから、さぞおなかがすいているでしょう。」「本当に。なにか出来ることはないかしら。」そう話し合った住民たちは、震災の支援物資として届けられていたお米を集会所で炊き、約300個のおにぎりを握った。のりと梅干しは、みんなで持ち寄った。
おにぎりは、冷めない様に発泡スチロールの箱に入れて運んだ。1メートル近く積もった雪の中、1台1台の車の窓をノックし、1人に1個づつ、おにぎりを手渡して回った。その後、この出来事はラジオやインターネット、新聞等で紹介された。記者のインタビューに答えた増子さんが、「おにぎりに命を救われました。感謝しています。」と言っているのを聞いた住民達は、「軽い気持ちでやったことだったのに、そんなに感謝してくれているなんて。」と、感激した。そして、このように話した。「震災からこれまで、私たちは数え切れないほど多くの人たちに助けられてきました。だから、恩返しができたようで嬉しいです。今回のことで、また明日から頑張ろうと思えました。私達にとっても、はげみになりました。」
この話はこれで終わりではなかった。新聞で報道されたこの記事を見た広島市の人たちが、この話を元に紙芝居を作ったのだ。紙芝居は、仮設住宅の住民たちの前でも上演されました。題は、「お互い様ー命のおにぎり」。住民たちは紙芝居を見ながら、改めて、「人様のお役に立てて良かった。」と言って喜んだ。その眼には涙があふれていた。この紙芝居は、日本各地で上演され、多くの人々に感動を届けている。
温かい心「命のおにぎり」の作品から下記のテーマの感想を話し合いました。
□どんなときに、人の心を「温かい」と感じるのでしょうか
□仮設住宅の人たちは、なぜ、おにぎりを持っていこうと思ったのでしょうか
□増子さんは、どんなことに感謝しているのかな
□今日の学習から、温かい心について学んだことをまとめてみましょう
語り合った後、
10月17日福岡大学病院がん相談支援センターで開催される「たんぽぽの会」に牧原は参加でもうお1人はオンラインで参加と決まりました。
カフェ会を重ねるたびに少しづつではありますが、皆さんの魂が何ミリかではありますが大きくなるような内容を取り扱っていこうと、思いました。
NPO法人マザーズドリーム 牧原
※サポートメイト(伴走支援)は商標登録済です。