- 2021年6月9日
耳より情報2021年6月 No.33
日本人の足下にある泉、これは古典である 宮崎正弘(評論家) 1.いまの日本人の足下にある泉とは何であろうか。私は古典だと思う。古典に親しむことで日本人とは何か、日本人としていかに生きるべきかを考え、自分の本当の価値を発見した人は、周囲の雑音をはね除け、己の道を信念を持って歩んでいけるようになるだろう。2.ありがたいことに、我が国には、「古事記」「日本書紀」「竹取物語」「古今和歌集」「源氏物語」等々 […]
日本人の足下にある泉、これは古典である 宮崎正弘(評論家) 1.いまの日本人の足下にある泉とは何であろうか。私は古典だと思う。古典に親しむことで日本人とは何か、日本人としていかに生きるべきかを考え、自分の本当の価値を発見した人は、周囲の雑音をはね除け、己の道を信念を持って歩んでいけるようになるだろう。2.ありがたいことに、我が国には、「古事記」「日本書紀」「竹取物語」「古今和歌集」「源氏物語」等々 […]
道徳はすべての人が守るべきもの (解説)商業道徳というと、商業にのみ道徳があるように聞こえるが、道徳というものは世の中の人道であるから、たんに商業家にのみ望むべきものでは無い。商業の道徳はかくある、武士の道徳はこうである、政治家の道徳はかようであると、なにか官服の制度見たように、線が三つあるとか四つあるとかいうごとき変ったものではない。人道であるから、すべての人が守るべきものである。 (参考:渋沢 […]
希少性を高める 藤原和博(「朝礼だけの学校」校長) 1.テレカン(テレビ会議)が当たり前になることで、その会議が本当に必要なのかが問われるようになりましたし、皮肉にも、「部長や課長がテレカンで大したことしか言わない」といったこともバレてしまうようになりました。そういった点からも、コロナ前の「情報処理能力」の時代から、コロナ後の「情報編集力」の時代に大きくシフトしたといえます。2.さらに今後、AI( […]
「自我」と「自己」の区別 青山俊薫(愛知専門尼僧堂堂頭) 1.お釈迦様の仏法というのは天地宇宙の真理ですから、そこを真っすぐに見つめていきなさいというのが道元禅師の根本の教えです。例えば、道元禅師は「自我」と「自己」とを分けて考えられました。「自我」というのは凡夫ぼんぷの私、ウジウジと悩んでいるのは、この小さな私を中心とした「自我」です。2.しかし、そんな悩んでいる私も天地の総力を挙げての働きの真 […]
人間くさい知略を働かせる 野中郁二郎(一橋大学名誉教授) 1.経営学や経済学はこれまで、わかりやすい正解を求めることにとらわれすぎた。人の営みであるはずの経営や経済に、人間が不在だったのだ。だからこそいま、科学的アプローチへの依存を脱し、人間的側面から問い直す必要があるのではないか。2.人間は、他者との関係性において、主体的に未来志向で意味や価値を生み出す存在だ。人がそれぞれの「思い」を出発点に、 […]
貧富者の調和をはかること(識者の役割) (解説)結果として貧富の懸隔を生ずるものとすれば、そは自然の成行である。とは云え常にその間の関係を円滑ならしめ、両者の調和をはかることに意を用いることは、識者の一日も欠くべからざる覚悟である。これを自然の成行き人間社会の約束だからと、その成るままに打棄て置くならば、ついに由々しき大事を惹起じゃっきするに至るはまた自然の結果である。 (参考:渋沢栄一「論語と算 […]
大企業が相次いで農業事業に参入(三井不動産) 1.三井不動産や三菱商事などの大企業が相次いで農業事業に参入し、有力農家を囲い込んでいる。不動産デベロッパー最大手、三井不動産が有力農業法人のワールドファームと資本提携し、壮大な農業再生プロジェクトを始動させた。ワールドファームは、ダイヤモンド編集部が毎年選定する「レジェンド農家トップ20」の首位をほぼ独占してきた農場であり、両者の資本提携は、強者と強 […]
危機とは危険と機会(ケネディ元米大統領) 小峰隆夫(大正大学地域構想研究所教授) 1.かつてケネディ米大統領は、キューバ危機の際に「危機という言葉は、漢字では危険と機会という2つの組み合わせでできている」と演説した。確かに、日本経済は石油危機を契機として省エネ型の製品を開発し、1980年代の後半の円高では生産過程の効率化を進め、阪神・淡路大震災のときにはボランティア活動を活発化させるなど、危機を変 […]
「大きい数値」がもてはやされる時代、磨くべきは「小さなものを見る力」 松岡正剛(編集工学者) 1.世界にあふれる情報をいかに編集し活用するか考え続けてきた立場からすると、今の日本には気になることがあります。「小さいものを見る力」が失われてきていることです。小さなところに亀裂が入り、それが大きなことにつながる。こういう視点が社会からだんだんなくなっているのではないかと危惧しています。その一方で目立っ […]
個人の富はすなわち国家の富 (解説)要するに富むものがあるから貧者が出るというような論旨の下に、世人こぞって富者を排するならば、いかにして富国強兵の実を挙ぐることが出来ようぞ。個人の富はすなわち国家の富である。個人が富まんと欲するにあらずして、いかでか国家の富を得べき。国家を富まし自己も栄達せんと欲すればこそ、人々が、日夜勉励するのである。 (参考:渋沢栄一「論語と算盤」):国書刊行会