
1.自己と外の世界との境目がなくなるという体験は、実は死の体験とも共通している。円覚寺の朝比奈宗源老師は、お互いの存在を、仏心という広い海に浮かぶ泡のようなものだと表現された。泡が生まれたからといって大海が増えるわけでもなく、泡が消えたからといって大海が減るわけでもない。泡と大海と区別はあるようだが、実際はひとつになっている。
2.大きな海のなかで泡が生まれて、海に帰るのだ。そこで朝比奈老師は、「人間は、仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息をひきとる。このように、われわれは仏心をはなれることはない。生と死というものは、ゆうべの夢のようなものだ」と説かれている。
3.坐禅というのは、実はこの自他の区別のない世界、仏心という広いひとつながりの世界にありながら、自他に境目をつけてしまい、お互いを比べては自ら苦しみをつくり出しているので、本来の仏心に目覚めるために修行をするのである。
(参考:「致知」2025 年12 月号)