- 2021年5月17日
耳より情報2021年5月 No.21
すべてのものはうつろいゆく、怠らず精進すべし(仏陀) 横田南嶺(臨済宗円覚寺派管長) 1.人生は苦である。無常の風はどうしようもない。では、その中でどう生きるのか。まずは正しい道理を知ることを仏陀は説かれた。まさにこの世は無常であり、いつ何が起きるか分からないものだと正しく知ることである。お互いに「これが自分だ」「これが自分のものだ」といって執着しているが、無常の風に吹かれては、これが自分だと言え […]
すべてのものはうつろいゆく、怠らず精進すべし(仏陀) 横田南嶺(臨済宗円覚寺派管長) 1.人生は苦である。無常の風はどうしようもない。では、その中でどう生きるのか。まずは正しい道理を知ることを仏陀は説かれた。まさにこの世は無常であり、いつ何が起きるか分からないものだと正しく知ることである。お互いに「これが自分だ」「これが自分のものだ」といって執着しているが、無常の風に吹かれては、これが自分だと言え […]
貧富の差はいつの世、いつの時代も存在する (解説)社会には、みだりに貧富の懸隔を強制的に引直さんと希う者がないでもないけれども、貧富の懸隔はその程度においてこそ相違はあれ、いつの世、いかなる時代にも必ず存在しないという訳には行かぬものである。人に賢不肖の別、能不能の差があって、誰も彼も一様に富まんとするがごときは望むべからざるところ、したがって富の分配などとは思い寄らぬ空想である。 (参考:渋沢栄 […]
目的は責任追求ではなく再発防止・業績向上 大村禎史(西松屋チェーン会長CEO) 1.改善や改革を企業風土にする必要があるため、「問題と対策の報告」の制度を採り入れました。売り上げだけではなく、店舗運営や災害対策など、問題や事故が起きたとき、当事者を責めるのではなく、提起して対策を打つことを評価する仕組みです。例えばTシャツの売り上げが落ちた場合、実は納期の遅れ、つまりスケジュール管理に問題があるの […]
相手がいま何を必要としているかをつかむ鈴木秀子(国際コミュニオン学会名誉会長) 1.物質主義では、いまや人の心を満たすことができない時代に入ってきたのです。情報社会という言い方もされますが、あり余る情報は逆に不幸の要因ともなってしまいます。これから求められるのは、そういう意識を超えた「感性の時代」であると言われています。2.感性の時代に最も大切なのは、相手の望んでいることや喜び、悲しみに共感できる […]
経営の信念が問われる時代の到来 延岡健太郎(大阪大学大学院経済学研究科教授) 1.企業は株主価値や収益ではなく、社会的責任を優先すべきだとする論調が近年強まっている。この傾向がコロナ禍の前に始まっていたのは、社会にとってわずかな幸運といえるだろう。2019年には米大企業のCEO(最高経営責任者)200人近くで構成されるビジネスラウンドテーブルが、利益最優先の経営目標を取り下げた。企業は株主利益では […]
資本家、労働者に共通するものは王道 (解説)資本家は王道をもって労働者に対し、労働者も亦王道をもって資本家に対し、その関係しつつある事業の利害得失はすなわち両者に共通なるゆえんを悟り、相互に同情をもって始終するの心掛けありてこそ、はじめて真の調和を得らるるのである。 (参考:渋沢栄一「論語と算盤」):国書刊行会
社長自らプレゼンテーション(インド進出) 鈴木修(スズキ代表取締役会長) 1.約43年にわたりスズキのトップに君臨した鈴木修会長(91歳)。浜松の弱小メーカーをグローバルな自動車メーカーに育て上げたカリスマは今年6月で取締役を退任する。修氏がスズキの社長に就任したのは1978年で48歳だった。社長就任の翌年に発売した軽自動車「アルト」では、「エンジンを取ったらどうだ」と、徹底的にコストを削り、既存 […]
この世は耐え忍ぶ所 横田南嶺(臨済宗円覚寺派管長) 1.仏陀(ぶっだ)は、まさしく「一切いっさい皆かい苦く」と説かれ、「四苦八苦」と説かれた。「四苦」とは生老病死(しょうろうびょうし)であり、生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病の苦しみ、死の苦しみを言う。いずれもが思うようにならないのである。思うように生まれることも、老いることもできない。病もまた思うようになるものではなく、死に至ってはなおさらだ。2 […]
両利き経営では足りない、4象限管理を大胆に回転させる 小林喜光(三菱ケミカルホールディングス会長) 1.経営者の条件は年齢では決まらない。年を重ねれば情報が蓄積されアドバンテージにもなるが、勉強を重ね頭のアップデートができなければ「老害」にも成り得る。時代を読み、会社を変えていくビジョンを持ち、社会に貢献しながら貪欲に稼ぐ。苦しくてもこれらを持ち合わせていればトップにふさわしいだろうし、これらを失 […]
王道は人間行為の定規 (解説)試みに余の希望を述ぶれば、法の制度はもとよりよいが、法が制定されておるからと云って、一も二もなくそれに裁断を仰ぐということはなるべくせぬようにしたい。もしそれ富豪も貧民も王道をもって立ち、王道はすなわち人間行為の定規であるという考えをもって世に処すならば、百の法文、千の規則あるよりも遥かに勝った事と思う。 (参考:渋沢栄一「論語と算盤」):国書刊行会