
1.私は人間というものは苦しいものと思っている。苦しみは死ななければなくならない。しかし、その苦労は無意味なものではない。苦労すればするほど人間らしくなる。僧侶とか学者とか、現実的でない人は死ぬまで修養している。修養は今の人に言わせれば苦しみである。刹那主義で、今日贅沢をして、うまい物を食って、いいことをして終わるだけだったら、犬や猫とどこが違うか。
2,私は商売を始めた。形から見れば、資本家の後を追った形になっている。けれどもそうではない。私は資本家に反対した。資本主義に反対したのではなく、資本家に反対した。資本家に反対した理由は、金さえあれば、何でもかんでもやり、金で人を圧迫したり、金万能のやり方をするからである。
3.出光は人間が資本だ。事業が手段で、人間尊重が本体だ。この50年間を顧みると、出光のスタートのときは、資本主義の黄金万能時代だった。その後、戦争で極度の計画統制時代。それから敗戦の占領政策時代。この極端に変わった三つの時代に対して、私たちの人間中心主義、人間尊重主義ということを一つも変える必要はなかった。
(参考:「週刊ダイヤモンド」2025 年5 月10 日・17 日号)