
1. 日本の国民総生産(GNP)が西ドイツを抜き、アメリカに次ぐ2 位となった1968 年、松下電器は創業50 周年を迎えました。それを記念する式典が5 月、同社の体育館に7千名以上が参集し、盛大に催されます。幸之助は挨拶の最後に、「これから本当の活動が始まる」と発言。松下電器は多くの人と資本を擁する会社に発展したのだから、自社の利益拡大のみに満足してはならず、社会に貢献し、世界の発展に寄与する責務があると訴えました。
2. そんな社会貢献の取り組みの中でも特に注目を集めたのが、過疎地域の工場建設です。幸之助はかねてから、大都市の過密化と地方の過疎化の進行は、日本の将来にとって大きな問題であると考えていました。過疎の深刻さに心を痛めた幸之助は、問題の解消を政府に委ねるのではなく、松下電器グループとしても、工場進出によって協力できるのではないかと考えました。
3. さっそく当時人口減少の最も著しい県の一つであった鹿児島県での工場建設を発表します。すると、政府に先行した過疎化対策として話題を呼びました。その後、松下電器グループは「一県一工場」を目指して工場建設に力を入れます。過疎に悩む地域に多くの雇用が生み出されたのでした。
(参考:「PHP」2026 年7 月号)